「福は内、鬼は外」をモットーに福豆を撒いたり、恵方巻きをかじったりする伝統行事の節分。節分とその前日には、京都各所で特色ある祝祭行事が開催されます。古くから伝わる追儺式や地元特有の行事、豪華賞品がもらえる行事など、多彩な節分行事を堪能することができます。
しかし、2020年以降、新型コロナウイルス感染拡大の影響で、2021年・2022年の京都の節分行事は、多くの行事が中止となりました。行事がはじまって以来、初めての中止だったという京都の寺社も多数あります。今後の2023年の節分行事は、3年ぶりに通常開催という寺社もあれば、少人数での引き続き縮小開催や注意喚起という寺社もあります。
節分について
節分とは
節分は、四季の分かれ目ごとに存在しますが、一般的には冬から春への移行期を意味します。2月の節分である立春は、冬至と春分の間に位置する、春の始まりを表しています。近年の節分のトレンドとしては、恵方巻きが急増しています。2023年の節分の恵方は南南東ですので、このタイミングをお見逃しなく!
節分は2月2日?3日?
旧暦(太陽太陰暦)では、立春は1月1日前後に行われます。その1日前の節分は年末年始の定番行事となっていました。
立春は、冬至と春分の中間で、新暦2月3日から5日になります。節分はその前日の2月2日から4日に行われますが、実際の日付は地球の公転周期である365.2422日が原因で端数が出るため、うるう年と同様に固定しないのです。
1985年以降、2月3日が近年の36年間は節分であることはよく知られています。このため、節分を思い浮かべると2月3日をイメージするかもしれません。しかし実際には1898年~1984年の間の節分の日付は2月3日と2月4日が約半々の確率で出現していました。さらに、1897年以来124年ぶりになる2月2日の節分もあります。2021年~2100年の間では、2月2日と2月3日の節分が約半々の割合で出現します。2057年までの間には一度にして4年に一度、節分が2月2日になります。
恵方とは
節分の恵方巻きは、本来かならず年毎に変わる吉をもたらすとされる方角「恵方」を向いて食べることが伝統的な行事です。古来より、元日の空き時間に恵方の方角にある神社をお参りすることを「恵方詣り」という形式で行われてきました。歳徳神(さいとくじん)と呼ばれるその年の福徳をもたらす神様も恵方巻きとともに祝われてきたのです。
2023年の恵方は南南東です。過去10年間の結果を見ると、2013年から5年ごとに4つの方位が順番に回ってきます。つまり、5年周期として、西暦の1の位が0年、5年であれば西南西、1年、6年であれば南南東、2年、7年であれば北北西、3年、8年であれば南南東(2回目)、4年、9年であれば東北東となります。特に注目すべきことに、南南東だけが2回出て来、5年に2回は南南東が恵方ということになります。
節分行事について
節分行事は、元々中国から日本に伝わりました。古くは慶雲3年(706年)に宮中で行われたことが重日本紀にも記録されています。その後、平安時代には宮中での行事が行われ、鎌倉時代にはすたれてしまいましたが、室町時代に入ると、民間に広まり、京都から全国の社寺で多くの行事が行われ始めました。特に京都には、多くの社寺で行われる何種類かの節分行事があり、有名なものも数多く見られます。そして、節分は旧暦では年末年始の行事の一つとして行われていたため、「新しい年を迎える行事」としても親しまれていました。現在でも、京都の平安神宮では大儺の儀として節分を行っています。
節分のオバケ
京都では、節分に伝統的な「オバケ」という風習が行われています。洋服の普及により廃れかけたこの風習は近年再び活き活きとして見られるようになりました。節分という日は、特別な食べ物を口にして生命力を回復しながら、神様の大移動が行われると考えられていた時代の民間信仰として、人々が羽目を外して一日中爽快感を享受できる日であり、かつての生きる知恵が込められているものと思われます。
京都各所の節分行事
① 吉田神社「追儺式」〈左京区〉
京都で最も壮大な節分を祝うのが吉田神社であり、そこでいかにも「節分」の雰囲気を味わうことが出来ます。特にオススメは、2月2日の節分の前夜に行われる古き良き追儺式(ついなしき)です。元々、宮中で行われていた儀式を今に伝える神事であり、境内で暴れ回る鬼を、大して仮面をかぶった大舎人(おおどねり)が退治するという内容です
京都で最大規模の節分行事といえば、東大路の参道が一番にあげられます。人々が参道をかきわけ、本宮前に向かう途中にある山蔭神社前では、入場規制がかかっているなかで、追儺式の列を待ち望んでいました。そして、待てば必ず来るであろう、大舎人(おおどねり)が赤い顔に角を生やした鬼の仮面をかぶり、金色の4つの目を持った中国神様の「方相氏(ほうそうし)」へと変貌して参道あふれる人々を抜けて、大元宮から本殿方向へとゆく光景を狭い参道から見守りました。
鬼が来ると、威嚇をかけながら殿方を下る赤鬼と青鬼は、本日の大いなる主役たちとして話題を占めました。精神を落ち着かせる劇的な場面でした。
吉田神社の山門の鬼たちは、赤鬼、青鬼、黄鬼の三色によって人間の煩悩を表しています。赤が怒り、青が悲しみ、黄が苦しみを意味し、黄鬼は三人の中でも一番無口な顔立ちとなっています。同じく三人の鬼が出てくる廬山寺とは異なり、黄鬼の表情からも苦しんでいることは見て取ることができません(笑)。スマイルのサービスを提供してくれる彼らを見ると、子どもたちは大喜びでありながらも、本気で泣き叫んでしまうケースもあります。今でも鬼たちが、境内を暴れまわっているような場面を目にすることができます。
節分に行われる吉田神社の追儺式では、入場規制がかかっているため、近くで見ることができませんでした。しかし、時間を待つうちに方相氏から退治された赤鬼、青鬼、黄鬼が戻って来たのを見ることができました。背中をのぞいた時も、彼らが往路で元気だったのとは対照的な影があり、尾羽うち枯らした仕上がりを思う存分哀愁漂わせていました。
黄鬼が金棒にしがみつきながら立ち上がり、もう疲労困憊の状態をしている姿は、ただ演技でなく、一連の儀式による本当の情熱と熱意の賜物であるといえるでしょう。そして黄鬼はにわかに体力を失ったように、歩くようなとぼとぼとした歩調で大元宮の前へと向かっていきます。
吉田神社に到着し、参拝者が少なくなる竹中稲荷の境内へ入ると、思わぬ驚きが待っていました。厳しいぶりを強いられた鬼たちも、歩きながら実は演技していることがわかりました。結局は「お疲れ様」の大歓声と拍手で彼らの追儺式は終了しました。
見逃せないのが、節分翌日(2月3日)に行われる火炉祭でしょう。古いお札や金銭などを焼却するなか、何といっても盛大な火の燃え具合が必見です。さすが京都の最大級の節分行事となっております!
節分前日の夜に行われる追儺式は、その日中でも鬼たちを見ることが出来ます。特に、吉田神社の境内や周辺の露店を歩いていると、フレンドリーな態度で鬼たちの姿が見られることがあります。気軽に記念撮影をされる場合もありますので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。
小さな子供たちにとっては、やはり鬼の姿は恐ろしく感じられるようです。中には夜と同様に、泣き出してしまう子供もいるのだとか。
吉田神社の節分のもうひとつのお楽しみとして、毎年恒例となっている「福豆抽選会」があります。50年以上前から行われているといわれていて、300円の福豆には「厄除け福当り抽選券」が付属しています。そして、2022年(コロナの影響であっても)185種類(1,736点)の豪華賞品が用意されており、1ヶ所では収まりきらないほどの数です。
TOKIOテレビの洗濯機、そして高級ホテル宿泊券などがラインナップされており、さらにギフトカード10万円分、あわせて酒類も豪華に用意され、最も高価な商品としてはなんと2022年の吉田神社節分祭の厄除け福豆としてトヨタのヤリスがプレゼントされることとなっています。詳しい情報は公式ホームページでご確認ください。その他にも、記念鐘(岩澤の梵鐘提供)や石製犬(大前石材店提供)、白牛角銀行印(はんこと印刷 五百堂提供)、らくたび文庫15冊(らくたび提供)などといった豪華な賞品もあります。2022吉田神社節分祭の厄除け福豆として贈られるトヨタのヤリスなど、多彩な賞品が勢ぞろいしています。さらに、記念鐘などどんなものなんでしょうか? その答えも公式ホームページでご確認ください。
2022年の福豆抽選会は2月4日に行われ、2月8日の京都新聞には当選番号一覧が掲載されました。2021年も筆者がチャレンジしましたが、当選はありませんでした。これは、新型コロナの影響で授与数が例年の半分以下だったため、当選確率が2倍程度となった事が原因でしょう。とはいえ、福豆は後日おいしくいただきました。
実際には、300円で100万円以上の景品が当たるという福豆抽選会も景品表示法との関係が気になりますが、伝統的な祭事ならば景品表示法の適用はされていないようです。その上、景品は全て協賛社から提供されたもので、授与料を原資としていない点も景品表示法の観点からポイントがあるでしょう。
2021年には、新型コロナウイルスの影響により、吉田神社の節分行事が一斉中止となった。通常の参拝や神札の授与と古札類の引き受けのみ可能であり、京都でも最大級の露店も一切出店されなかった。室町時代の祝い行事として続く神事が、今までとなット実施されなかったことは、2021年が初めてである。
2022年、吉田神社では追儺式(鬼やらい神事)の廃止とともに、他の祭事も例年どおりの予定となっていたが、縮小されて開催されていた。火炉祭(かろさい)も行われたが、混雑防止のために開催時間を公表しなかった。
2023年の節分行事は、非公表だがコロナ前の例年通りの開催が予定されている。そのため、開催時間などの詳細は近日中に告知されるとみられている。
② 壬生寺・節分会「壬生狂言&山伏練り歩き」〈下京区〉
2月2日~4日にかけて、壬生寺の節分会では、「山伏練り歩き」が行われます。この行事の元祇園梛神社からスタートし、聖護院の山伏と壬生寺保育園の園児が壬生界隈を練り歩くことになっています。
山伏たちが聖護院に参り、1962年に本尊もろとも放火により焼失した本堂を1970年に鉄筋コンクリート製の再建工事が終了しました。背中にぶら下がっている玉は結袈裟(ゆいげさ)と言い、4個から6個に増加し六波羅蜜をあらわし、頭部にかぶっているのは天台寺門宗系の本山修験宗の総本山である聖護院のシンボルである頭襟(ときん)と呼ばれ、大日如来の宝冠を表しています。山伏さんたちはこの聖護院が本場であることから官職を務め、正式な服装を身にまといます。
壬生寺境内は大賑わいであり、表門を通って一行が出てきたときに先導してくれたのは山伏たちでした。先導してくれた山伏たちによると、保育園の園児たちも後に続いていました。山伏はおじさまばかりかと思いきや、なんと若い方もたくさんいました。
元祇園梛神社に訪れると、牛頭天王が貞観11年(869年)に播磨から勧請されてここに祀られたという歴史があります。京都の八坂神社へと移ったという伝承もあります。参拝者は一斉に法螺貝を吹き鳴らしながらお経を唱えるなど、神社での文化を存分に感じることができます。
壬生寺を象徴する4条通を経由して、14時から本堂前で行われる節分の大護摩供養を参加するため、京都のメインストリートである4条通を歩いて参加される方々を歓迎します。交通規制を設けることなく、この機会に隅々まで見られることができるので、節分の大護摩供養を存分に楽しんでください。
壬生寺の壬生狂言
江戸時代の「京童」という京都観光ガイドブックには、壬生寺で上演されていた壬生狂言の挿絵が掲載されています。当時から壬生の名と共に有名な狂言であり、身体を使って表現するアクロバティックな狂言形式を表しています。
毎年2月に開催される壬生狂言は、13時から20時まで1時間おきに上演され、2022年から当面の間は17時~20時の計4回になります。演目は「節分」という無言劇であり、立派な観覧席もあり、入場は無料となっています。クライマックスシーンとしては、「焙烙割り(ほうろくわり)」が披露されます。
観覧席内の写真撮影はできませんが、外から見ていると、壬生狂言のステージは明くるみの中に小さな灯りが浮かび上がっています。2月の京都では寒さが気をつけたいポイントとなるので、しっかり防寒対策をお忘れなく。それを守って、壬生狂言を一緒に楽しもうではありませんか!
壬生寺の厄除け焙烙
節分を祝うため、壬生寺は、素焼きの大きな皿状の陶器である「焙烙」を厄除け用途として提供しています。裏面には「大念仏 厄除」と刻まれ、名前と性別、数え年、家内安全などを書いて奉納することで、厄除けを祈願することができます。周囲の露店でも、多くの「焙烙」を提供しています。
壬生狂言の「焙烙割り」では、特別な儀式として3メートル以上の高さから見物人を魅了するほどの派手な音と演出で奉納された焙烙が割られます。この狂言のクライマックスシーンは見応えがあり、子供から大人まで楽しめるものです。
2022年の節分は壬生狂言が縮小開催
2021年の壬生寺の節分行事は、新型コロナウイルス感染拡大の影響により、壬生狂言、稚児行列、招福ぜんざい無料接待などが中止されました。
壬生狂言は昭和初期から続く行事であり、戦争の中断を除いては40年以上にわたり続けられてきましたが、今回が初めての中止となりました。
客席も150席に半減し、回数も8回から4回に半減しました。上演回数を半減したことでサークルの負担軽減を図っています。
山伏の大護摩祈祷など開催は可能ですが、露店出店は可能であり、境内での飲食禁止が課せられています。
なお、2023年の節分について縮小や中止等の発表は、目前の2021年1月19日現在ではありません。
おわりに
2021年の節分行事で、京都のいたるところには朝から夜まで様々な節分イベントが開催されます。あなたは、うまく回ることで、一日通して豆まきに参加することができます。さらに、賞品をプレゼントされる「お楽しみ抽選券付き豆まき」も開催されます。
節分行事を楽しむには、タクシーを利用するというのが私のお勧めです。タクシーなら、最小の時間と労力で、次の節分スポットへ行くことが出来ます。
京都において2021年の節分行事が開催できるかはわかりませんが、無病息災を願って祈りたいと思います!
コメント